多くの技工士が切望する、保険技工物に関わる報酬の直接請求ですが、前回エントリで述べたように、実現には乗り越えるべきハードルがいくつも立ちはだかると予想されます。しかし時は待ってくれません。ならば現行の報酬体系を維持しつつ、シンプルな法整備で技工士が矜持を持って仕事ができる料金体系を考えるならば、それは最低料金を保証する仕組みかもしれません。
前回の記事はこちらから。
最低料金をいくらに設定するのか
国や自治体が発注する公共土木工事には最低価格というものが存在します。あまりに安い金額で受注されてしまうと手抜き工事などの懸念から安全が担保できないという配慮からなのですが、技工料金でも同様のことが言えると思います。
以前に書いたように¥3,000で受注したレジン前装冠にはリテンションがつけられていない、トランスルーセントが省かれているなど、耐久性、審美性ともに劣るというシロモノでした。保険なんだから安かろう悪かろうでしょ? というのが当該ラボの言い分であり、また歯科医の方も、「ね、だから保険はダメなんですよ」とばかりに自費へ誘導するのが常套手段のようです。
が、ここで申し上げたいのは、設定される最低価格を叩きすぎては、公共事業でいうところの安全性を担保できないということなのです。これではいずれ、日本の歯科医療は貧乏人を相手にしないとの誹りを受けそうです。が、実際にそのとおりなのは忸怩たるものがあります。これについては後のエントリでじっくり考察いたします。
これまでのエントリを読まれてきた方なら既にご存じと思いますが、時の厚生大臣告示で適正とされた技術料の7割が、技工所が受け取るべき妥当な金額とされておりますが、実態価格は下記エントリで述べたように厳守されているとは言い難いのが実情です。
どんなビジネスでも発注する側が強いという掟があり、自動車業界を例に挙げますと、バブル崩壊で業績が悪化したマツダが、下請け部品メーカーに、品質はそのままに、とにかく安く納品することを求めました。同時期のトヨタも、小泉政権下で一気に進んだ非正規雇用を最大限に利用して、生産量に応じて非正規社員の採用と解雇を行いました。
つまり下請け企業や非正規労働者を経営の安全弁にしてきたわけです。これを歯科界に当てはめてみますと、
技工料金を値切り、パートスタッフの比率を増やす
ということになりましょうか。どうしてこんな情けないことになっているかは、人材確保のために人件費がかさむ、おりからの物価高、医院間の競争激化、人口動態の変化に伴う患者減少といったところでしょうが、こんなこと三十年も前から言われ続けてきたことなのです。
7:3の妥当性を再考する
最低価格をいくらに設定るかはひとまず置いといて、7:3の技工料金の粗利を計算することにします。下表は当シリーズで何度かお目にかけたものですが、この調査結果から税込み¥3,300の技工料金でFMCを一個製作する場合を考えます。
当診療所院内ラボでの試算を記します。金額はすべて税込みです。
【使用材料】
・模型台座用硬石膏
吉野石膏 ニューハイストーン (3 ㎏ ¥3,190 @1.6 円/g)
・普通石膏
サンエス石膏 歯科用焼石膏Ⅱ (25 ㎏ ¥10,890 @0.4 円/g)
・ダウエルピン
内外歯材 政宗ダウエルピン (1,000 本 ¥7,480 @7.5 円/本)
・キャスティングライナー
GCバイオキャスティングライナー№2 (10m ¥3,388 @3,4 円/㎝)
・埋没剤
GCクリストクイックⅢ SF (3 ㎏ ¥4,400 @1.5 円/g)
・その他(ワックス類、ワセリン、分離材等 ¥???)
【技工条件】
鋳造リング♯2を使用し、リング中にワックスパターンは1個、急速加熱にて焼却、係留は30分とします。
【コスト計算】
台座用硬石膏 61g…………………… ¥67
ダウエルピン 2 本…………………… ¥15
普通石膏(咬合器マウント用) 34g… ¥15
ワックス(スプルー部を含む) 1.1g… ¥429
埋没材(GC#2 リング) 59.6g ……… ¥85
キャスティングライナー 12 ㎝………¥40
酸処理剤(ヤマキン Z クリーン)…… ¥19
ガス料金 ……………………………… ¥30
電気料金……………………………… ¥131
他(分離材、フラックス、研磨費用)
合計 ¥446+α
となります。従いまして、技工所側の利益は
3,300-(446+α)=¥2,854-α
なんだ、けっこう利益は出るじゃないか、と仰せの御仁は早計です。その他経費に該当するα部分──これには水道光熱費、人件費、交通費等が含まれ、労働力への対価は¥2,854から割り引かねばなりませんから、宇宙にひとつしかないハンドメイド品を製作する報酬が¥2,000以下というのはどうなのでしょう。もちろん、大きめの鋳造リングに複数のパターンを埋没してコストを下げる、CAD/CAM装置を使ってパターンを出力し省力化を図ることは可能でしょう。しかし、時間単価、すなわち単位時間あたりの労働報酬は計算式では出しにくいのですが、時給にして¥300台はザラであると申し上げておきます。
でもとりあえず、多くのラボがこの価格を(好む、好まざるに関わらず)受け入れている以上は、納得できる最低価格は税込み¥3,300~¥2,420となるでしょうか。
しかし、つい先日Twitterに流れていた技工士さんの意見では、この十倍でも足りない、というのが本音のようです。人間的な暮らしをするための可処分時間を削ってまで働く例が多いのは、従業員や機材更新、借入金返済のためには、途方もない量の受注が必要であることは否めません。
法整備では済まない抜け穴
最低価格保証は、なにも保険技工に限った命題ではありません。イーマックスやジルコニア冠を信じられない安値で納品しているラボも実際には存在しますが、ひとえに安ければ歯医者は飛びつくだろう、という単純な目算があるからです。どの店で買っても品質が変わらないガソリンならば1円でも安いスタンドに走るのもまあアリだとは思いますが、技工物はそうもいきません。安くするには、それなりのカラクリがある。なのにダンピングが横行しているのは、営業力のある中規模~準大手くらいのラボが地域の技工物を安く受注し、それをさらに下請けに出すという現実が技工士を苦しめている元凶のひとつであるわけです。
下請けシステムが最低価格を有名無実にする
多くの歯科医がご存じ無いのですが、ラボ間には技工物を下請けに出すことは珍しくありません。わたしがこのブログを書こうと思い立った動機のひとつに、技工業界が抱える下請けの慣習(?)があります。
ある技工士の告白
当ブログを執筆し始めてからDMで寄せられた、ある技工士さん声を原文のまま転載いたします。
(取引のあった先生に、ある日)「他所へ出すことにした」っていきなり言われて、まー値段に敏感な先生なので安いところに盗られたんかな?って思ってました。 するとその盗っていったラボから電話があり、下請けをしないか?
同じ品質で2割お安く出来ますよ、って医院に営業かけたらしいです。で、その仕事を半額で当方に下請けさせて、右から左で楽して儲けようと、、 ま、当然断りましたけど、コイツだけは本当に許せない。 もう10年以上昔の話ですが、いまだに思い出すだけで腹立ってきます。
以前から申し上げているように、残念ながら技工士の敵は技工士であると言わざるを得ません。上述の告白のように現行価格の2割ダウンでFMCを受注したとしましょう。元の料金が¥3,300だとしたら¥2,600で受注、それを半値の¥1,300で下請けに作らせる。で、コストが1本あたり¥446+αですから、粗利は高く見積もっても¥900。これじゃあやってられないから、さらに半値で孫請けに出す──そんな馬鹿な、ありえないと一蹴できない惨状が現実に存在します。わたしが複数の業界関係者から聞き取った情報によると、孫請けでの実勢価格はFMC1本あたり¥500。奇しくもわたしが試算したコストギリギリ──こんなただ同然の製作費で請け負っているのは、営業力のない一人親方のラボだと推察されます。それでも利益を出すにはどうするのか……。
禁じ手
出入りの技工士さんがある日、仲間の技工士さんに、「これ、使ってみな」と、小袋に入ったパウダーを渡されたそうな。それを卑金属合金のニッケル・クロムあるいはコバルト・クロムに加えると融点が劇的に下がり、高周波鋳造機やプロパンガスなどを使わずとも、まるでパラジウムのように鋳造でき、研磨性も良好だとの説明を受けたとのことでした。
わたしは信じませんでした。がすぐに、テレビの報道で考えが覆されてしまいます。東京のブローカーが、安い受け値で技工物をとりまとめて上海に外注したものの、納品された金属に発がん性のあるべリリウムが含まれていることが発覚、しかも指定された金銀パラジウム合金ではなくニッケル・クロムが主体だったこともわかり大きな社会問題になりました。先の技工士さんが手渡された粉は、まさにこれだったようです。これならば¥500で受けて、金属代を金パラとして請求すればペイするでしょう。
しかし、何よりも怖いのが、このエピソードは十年ほど前に見聞きしたものであるということ。この禁じ手を知っている技工士がそこそこの数存在するのなら、一部ではこんな危険なテクニックが常態化しているのかもしれません。
世に悪人のタネは尽きない
最低価格を法的に保証すれば、それ以下の廉価で受注するのは法律違反になります。すなわち独占禁止法(以下、独禁法)に違反するということです。ただしペナルティが軽ければ独禁法違反が横行すると予想されます。数万~十万円の罰金程度では、悪いラボと元請けの歯科医の間で「黙っていような~」的な暗黙のコンセンサスの元に、患者第一の良質なラボが受注競争から排除されてしまうかもしれません。従いまして、ペナルティは営業停止や保険医停止を視野に入れた重いものでなければ実効性は薄いでしょう。
また、歯科医師会、技工士会の組織率の低さもネックになると予想します。誰が価格保証制度を周知徹底させるのか、どうやって価格が適正に守られているかチェックするのか……警察になるのでしょうか? 厚生局の指導課はどうでしょう。いずれにせよ、お役人は業務負担が増すことを嫌いますので、野放し状態になる──わたしは、そう悲観的に見ております。
さらに言うならば、ダンピングを行っている準大手、中規模の下請け発注を禁ずるべきです。でないと、営業力のあるラボだけが潤って、その下、さらに下についてた技工士は旧態依然のまま仕事をしなければなりません。
以上のように最低価格保証は、すべてのラボが紳士協定で縛られる必要があること、そして下請けにも保証が及ばないと根本的な解決にならないということに尽きます。
しかし、もっとも根本にあるのは7:3でもラボにとってはうま味が薄いこと。若い人がこぞって業界に参入してくるには、まず診療報酬のアップが望まれるわけですが、これは諸事情によって望み薄であること、ここに改めて断言しておきます。
つづく
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